落とし物箱

出会っちゃった人たちの話がしたい

銀河鉄道の夜2020




半年ぶりの劇場、半年ぶりのお芝居、半年ぶりの観劇……

観劇が趣味でそのために働いてるタイプの人間なのでそれが半年間も奪われて生きていけない…って思ってたんですけど過ぎてみれば意外とケロっと生きてられたので人間の順応性って怖いなあって感じました。
それでも舞台が好きなのは変わらないし徐々に再開し始めて私も久しぶりに劇場に通ってやっぱり生って良いなー!舞台って良いなー!!って叫びたくなったのでブログを書きます。


銀河鉄道の夜2020を観に行ってきました。

銀河鉄道の夜宮沢賢治の作品は読んだことがなくて。初めて銀河鉄道の夜に触れたのがこの作品。
私のイメージ的には多分銀河鉄道999と混ざってて金髪な綺麗なお姉さんが出てこなくてあれ?銀河鉄道ってこんな感じなの?って困惑して調べたら全然違ったところから始まりました。無知って怖い。ちなみにメーテルの名前もちゃんと覚えてないくらいには銀河鉄道999の方も触れたことがなかった。
お話の内容知らないままに話だけが進んでいって付いていけなくて引き離されていく感覚があったんですけど見るたびに点と点が線で結ばれていって、表現の深さにびっくりしたその勢いで書いてる。

今日は千秋楽。今はすごくそれが寂しい。


ここから先はネタバレアリです


この作品を通して詩的で綺麗でそれでいて実態がはっきりしない言葉が多いなって印象なんですけど。その中でも「まことのみんなのための幸せ」はこの作品の中の大きなテーマというか、考えさせられる言葉だなって。まことのみんなのために何かを為せるかって漠然としているけれど人の心のどこかにはある核心をついた言葉でもある。
簡単な言葉に置き換えたら"自己犠牲"になっちゃうのかもしれないけれどそんな単純なことでもないのもわかる訳で。カムパネルラがザネリを助けるために川に飛び込んだのもカムパネルラからみたら"まことのみんなのため"なんだけどある人から見れば"犠牲"に見えてしまってもおかしくなくて。だからこそ「まことのみんなのための幸せ」を考えると難しくて結果「わからなく」なるんだなって感じた。
ザネリを筆頭にクラスの人たちからいじめられて大人の世界に揉まれたジョバンニがまことのみんなの幸せのために何ができるのかを考えるキッカケになるのがこの銀河鉄道の旅の前後にある気がする。


お話の中でジョバンニとカムパネルラって周りと共存していないというか、悪い意味ではなく浮いた存在になっているのも新鮮だった。学校にいる時も周りに溶け込みきれず、鉄道の中でもどこから来たのか、どこに向かっているのかがはっきりしない2人で。この2人は親友なんだけどどこか同じ場所にいるような感じはしなくて。ジョバンニは地に足をつけて走り回っているけれど、カムパネルラって心ここにあらず、みたいにどこか意識が自分の中にないような雰囲気を出している。カムパネルラの中にある先の見えない恐怖と過去を受け止めきれずにいる自分への不安の気持ちが溢れ出した結果感情をどこかに置き去りにしているようで。カムパネルラにとっての銀河鉄道での旅は自分の感情と自分の存在を取り戻すための旅だったのかな。
白鳥ステーションで降りた時に出会う工事してる人(?)たちに出会って、光るリンゴを見つめた時のジョバンニの「光った」とカムパネルラの「消えた」はまさにこの2人の対比を表しているようだった。ジョバンニは未来に光を求めていて、カムパネルラは暗闇しか見えてなくて。タイタニック号の沈没を見ている時には起きるひとつひとつの事に対して瞬きをしてそのまま体当たりをするように見ているジョバンニと瞬きを一切せずに起きた事に対して動じずに見つめるカムパネルラ。カムパネルラはタイタニック号の沈没に川で溺れてしまう自分の運命を決める出来事を思い出しているようで、今までモノクロだったカムパネルラの気持ちに色がついたようだった。石炭袋の中に綺麗な野原とおっかさんの姿を見たカムパネルラは生き生きとしていて。石炭袋の中に一筋の光が差す演出になっているんだけど、これがそのままカムパネルラの光に見えて。今まで暗闇の中で彷徨っていたところに光がさしてそのまま走って行くのがあまりにも一瞬だったなあ。そんな光はカムパネルラに見えてジョバンニには見えていないから、ここで光と闇が逆転してるのもまた2人が違う世界にいることを表してるみたい。
カムパネルラの中にあった恐怖はきっと"自分がいなくなる=自分の存在がそのまま消えてなくなってしまう"ことにあったんじゃないかな。カムパネルラは銀河鉄道の旅の中で"存在を証明"できることを知り、自分の中にあった感情を取り戻すことができて、そして親友にその"存在の証明"を託すことができたんじゃないかなあ。

カムパネルラってどうしてこんなに気配がないのに存在感があるんだろうって思ってたらお芝居の中で大きな目、そしてびっくりするくらい少ない瞬きとその目の先には何が写っているのかわからなくて異空間を生み出していたんだなっていうのを感じた。佐藤寛太さん、美食探偵私見てたはずなのに全然同一人物だと思えなかった。纏ってる雰囲気ももちろんだけど顔が違いすぎてびっくりした。
見れば見るほどカムパネルラの見ているものに引き込まれていったなあ。ジョバンニの親友であり、物語のキーになる存在の出し方がすごかった。


ジョバンニの性格形成として大きく関わってくるのがザネリで。ザネリとタイタニック号とサソリの関連がヤバすぎた。どこまで原作に忠実なのかはわからないけど、月並みな言葉しか出てこないけどこれはすげえ。

ザネリが川に落ちた描写はもちろんあるけど作品の中での大きさで言ったらタイタニック号の氷山に激突、沈没していく瞬間で。タイタニック号に乗っている青年が水の中に入るとザネリが出てきて、サソリの話が降ってくるように囁くように語られサソリと重なって青年に戻ってくる流れが辛辣なんだけど綺麗で。そして水の中から見た星空の景色は青年とカムパネルラが重なって。あの瞬間にカムパネルラの「まことのほんとうの幸せ」が吐き出されるんだけどここの流れがめちゃくちゃ綺麗で感動する。
ザネリは自分のこと大きく見せているけれど、カムパネルラを死なせてしまった罪に震えている姿は小さくて、ああちゃんと人のことを考えられる"子ども"だったんだなって思うし、それと対比するようにタイタニック号の青年の2人の少女を守るようにずっと傍にいること、決断力とかが"大人"だなあと思わされるんだよなあ。そしてサソリはタイタニック号の青年とカムパネルラとに重なって赤い照明弾が上がる演出が綺麗。
ザネリの最後震えながらの「お父さんがラッコの上着を持ってくるよ」というジョバンニに対する言葉。最初はこの言葉を口にするザネリの気持ちがわからなすぎてずっともやもやしていたんだけどやっとわかって。そしてその気持ちをそのまま全て許すジョバンニの大きくて暖かい抱擁でザネリの気持ちが救われたなあって思った。ジョバンニが優しく抱きしめて、ザネリの手がジョバンニに触れた時、ジョバンニの今まで押し殺そうとしていた気持ちが溢れ出る瞬間でもあって、ジョバンニとザネリの物語の終わりであり始まりになるんだなって感じた。


物語の主人公のジョバンニ。銀河鉄道の夜ってジョバンニの物語なんだけどジョバンニは真ん中にいなくて。いつも色んな人のことを"見ている"んだよなあ。彼の知らない世界を少しずつ自分の中に入れているようなそんな感じ。
お父さんは遠くに仕事に行っていて音信不通で、悪い噂もある中お母さんは病気がち。そんなジョバンニの環境が学校のない時間にバイトして友達と遊ぶ時間がなくなっていじめられるようになって、孤独になっていく。孤独だけじゃなくてジョバンニは何かの拍子でずっと頭の中に周りの人たちの言葉が木霊するからより追い詰められてる状態で。そんな中でもやっぱりおっかさんの言葉にだけは反応を示すからどんな状態であれ親のことは憎めない良い子なんだよなって感じてた。
ジョバンニは素直だからこそ周りの言葉をダイレクトに受け取ってしまうから傷が多くなってしまうんだろうな。銀河のお祭りのケンタウルスの歌を楽しそうに歌うジョバンニはどこにでもいる無邪気な子どもなんだなって感じさせる。無邪気で何も知らないからこそ得るものも大きくて。

ジョバンニの言葉って最初の方にも書いた詩的で綺麗でそれでいて実態のない言葉が多いんですよね。「今夜星が降ってきて僕たちのタマシイに幻燈を写す」とか「牛乳瓶が倒れてこぼれたもの、それはなんでしょう」とか。想像力を駆り立てられる比喩のような詩のような言葉がジョバンニの心をまた表しているようで好きなところのひとつ。言葉の本質は未だに掴めてる気がしないからわかってはいないんだけど、そういうところ、文学的で詩的で良いなって。この「今夜星が降ってきて、僕たちのタマシイに幻燈を写す」のセリフを行った時、星が降ってくる照明で足元にはたくさんの星がある演出が好き。物語の始まりと銀河の中に迷い込む境にいるみたいで。ジョバンニは孤独でいる間に、銀河鉄道の窓に写す幻燈はお父さんとおっかさんの名前しか出てこなかったけど、この旅の終わりにカムパネルラから存在の証明を託されたことによって、この後ジョバンニの幻燈にはカムパネルラも写るんじゃないかなって思った。それがジョバンニの存在の証明の仕方のひとつなんじゃないかなって。
ずっと泣いてばかりいたジョバンニは銀河鉄道に乗って生と死の境の不思議な空間に身を置いて人の様々な運命を知るわけで。あのジョバンニが持っていた"どこまでも行ける切符"はきっと人生の降車駅はまだ来ないってことだったんじゃないのかなって思ってる。他の人たちは降りる駅、場所が決められていたけれど、ジョバンニだけはどこまでも行ける存在だったから。(死を待つ人たちの集まる)四次元空間にひょっこり顔を出した(生きている人がいる)三次元空間の存在って感じが銀河鉄道に乗ってる時間が経つほどより鮮明に感じたんだよなあ。ジョバンニとジョバンニ以外の人たちの差が見えてくる感じ。ただの夢のひとつかもしれないけど、それはジョバンニの運命を変える出来事であって。それがなかったらザネリを赦すことはできなかっただろうし、自分という存在意義みたいなものも全く見えてなかったんじゃないかなあって。それが見えたからこそカムパネルラの願いである"存在を証明"することを約束できたわけで。あの言葉は私にはジョバンニの決意表明みたいに見えた。考え方が変わったことで世界の見え方が一心して、ザネリのことを赦すことができたのも抱きしめてあげることができたのもジョバンニの成長だから。

いや〜達成くんのお芝居やっぱり好きだな〜〜〜って見てて改めて思ってた。達成くんの言葉を借りると"感情のルート"、毎回見えるんだけど今回は特にだなって個人的には感じてました。まずそういう素朴な役って達成くんにとっては新鮮な感じがしたのもあるかもしれない。
素直で純粋無垢な少年そのままに、周りから受けた影響がそのままダイレクトに心に反映されていく様が綺麗だった。作品の感想で綺麗だったなって言葉が出てくるの私の中では新鮮なんだけどこの作品には綺麗って言葉が合ってるなって思う。それはもちろん演出とか言葉の使い方、選び方、照明や音もそうで。なんだろう、ステッカーとかたくさん貼ってある箱の中に大切なガラクタを詰め込んだみたいな作品。不思議な音が聞こえてきたり、それこそ銀河鉄道に乗り込むっていう現実ではありえないことが起きたり、ジョバンニたちの住む世界の雰囲気がガラクタの中って感じがして。楽しくて綺麗なんだけどどこか手に取ると不思議な気持ちにさせられる。最後カムパネルラにうんって言うジョバンニのボロボロ泣きじゃくってでも縛られていたものがなくなって解放されたような笑顔が忘れられなくて。
そしてザネリを抱きしめるジョバンニの姿がロミジュリのマキュを抱きしめるベンとも重なって個人的に崩れ落ちてしまった。ジョバンニの抱きしめ方の愛の深さというか、そこで全部が語られるから、ジョバンニがザネリを赦すことでザネリを救うことができたのがなんだか嬉しくもなってしまって。あの2人の間の言葉のない会話が聞こえてきた時に私の感情が爆発してしまったな。






白井さんの作品は怪人と探偵、ホイッスル・ザ・ウィンド以来だったんですけど大掛かりなセットの中にぽつんと人がいる感じが普通の世界を表していて良いなあって思いました。だからこそ浮き彫りになるありのままの人間性に温かみがある。こんな世の中の今だからこそ出会えて良かったなと思える作品でした。

これから千秋楽だ!ラスト銀河鉄道の夜2020!おめでとうございます!!楽しみだ!!!